2021年10月20日

究極のホリスティックメンタリング『スピリチュアリティの捉え方』9月25日

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『“究極のホリスティックメンタリング” メンタリングに於ける「スピリチュアリティ」の捉え方』

私が受講前に持っていたスピリチュアリティに対する思い(イメージ)は特ネガティブでもポジティブでもなかったです。ただ、私は無宗教であり、割と理性や理屈を大事にしてきたので自分と関係しているものではないと感じていました。自分のスピリチュアリティを抱き、そのスピリチュアリティを育成できる人が精神的な面で落ち着いてて、幸せそうなので、憧れではないが、尊敬しています。しかし自分はそれができるとは思えなかったです。受講前にはもっとスピリチュアルになるためよりも、スピリチュアリティの考え方、捉え方を理解するのが目的でした。
 しかし、講義では決まった定義、すなわち「スピリチュアリティ理論」のようなものを聴いて受け入れるのではなくスピリチュアリティの定義を自分で考えて、話し合う時間でした。そこで一つの大きな手掛かりをいただきました。スピリチュアリティは外(宇宙?)からきて「魔法」のような超自然的なものではなく、人としての姿勢、思い、考え、感覚などとつながるものだと感じました。以前、死生学の講座を受講した時に「水に優しい言葉をかけると氷結が綺麗になる」という発言に対し、実際に綺麗になるかどうかよりも、そこに意味を持とうとすることが大切という発見がありました。スピリチュアリティも同じく、証拠やデータではなく、どこに意味を持とうとするかが大切だと感じました。タロットカードをひいていただき、誰でもどんなカードに対しても当てはまる部分があり、自分の人生、生活と連携できます。なので、カードの内容よりも、自分はどの部分をピックアップして、どこを重視するかが大切です。そしてそれが分かれば自分をもっと知ることができるなと思いました。
 もう一つの大きな気づきがスピリチュアリティはヴァルネラビリティであることです。自分の欠点、恥、弱みを含めて自分自身全てを受け入れない限り、自分のスピリットと向き合えないと感じました。そして私は自分を完全に受け入れることがまだできないからこそ私はスピリチュアリティに抵抗を感じています。スピリチュアリティとは他人だけではなく、自分に対する自己開示をしなければなりません。自分を愛さない限り、それが非常に難しいです。
スピリチュアリティとは何か、という疑問は未だにはっきり答えられません。しかし、自分の中にスピリチュアリティがあるかどうかを探ってみたいという好奇心を始めて感じました。
ありがとうございました。

byカリン
posted by メンバーズ at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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